さとう陽子展 profile作品テキスト(身体表現に裏付けられた平面)

個展(2000年1/15〜1/27)

会場/ギャラリー檜
会期/1998年3月16日(月)-28日(土)

午前11時30分一午後7時 


さとう陽子と生のメタフォー

西達男

 さとう陽子は、一時期から線による表現を追求して来ている。無地に近いキャンバスに単色で引かれた抽象的な線。色彩の雄弁と形態の喚起力を捨てたむしろ禁欲的とも言える画面は一方では線による探求のあり方を示すとともに、他方、大きな空白の空間を際だたせている。特徴的な画面である。
  ときに線による作品ということであれば、まずわたしには二人の作家の名前がうかんでくる。ひとりはカナダのアニメ作家ノーマン・マクラレンである。マクラレンは、映画のフィルムに針先でじかに刻みこむことによって、線が生まれ、集まり、形をつくり、動き、解消あるいは爆発するありさまを見せて、アニメのもつもっとも初原的で比類のないよろこびをあたえてくれる。

 そしてもうひとりが、69年に28才で亡くなった詩人で画家の田畑あきら子である。  実際の作品に 接したのは、77年かんらん舎でのことだが、水彩や色鉛筆での片々たる作品ながらわたしには、戦後ずっとわたしなりに感じてきた時代の精神ともいうべきものを、それらの作品がまさに体現しているようにおもえてショックをうけたのだった。

1998年 「所作」の場 32×41cm
Oil on canvas

  戦争はおわったばかりだった。しかしその当時でも、今日のさまざまなイメージや、イメージということばが氾濫し、すべてが拡散してしまっている時代を、予感させるような空気や変化は、すでになにかのかたちで存在していたようである。 それともそのことは、わたしがまだ中高校生で戦時教育から開放されたばかりだったからだろうか。

 おもいだすことがある。ちょうどそのころ小説家の織田作之助が「可能性の文学」という評論を発表していて評判になっていた。その題名に吾が意を得たおもいで読んでみたもののひどく失望した。
  わたしがのぞんでいたのは、文学の可能性などではなく、無限にひろがった可能性そのものを対象とし、あるいは素材とする、そのような文学や芸術だったからである。
  仮にこれを〈可能性の芸術〉とよぷことにしよう。日本の戦後文学はその時代をふまえて、梅崎春生、椎名鱗三、大岡昇平、武田泰淳らの手によって読者の切実な要求にこたえる名作を生み出していた。
  しかしまだわたしのおもう〈可能性の芸術〉は生まれていなかった。世界を別の視点から見ることを可能にしてくれるカフカの文学は世界的な流行だったし・不条理とか実存とかいうことばも本のなかには溢れていた。 だがそういった要素もふくめて、新しい時代の感性と表現に出会った気がしたのはアントニオー二の映画「情事」を見たときだった。そのころから〈可能性の芸術〉にもときどき出会うことができるようになってきた。
  映画でいえばなんといってもタルコフスキ_の「惑星ソラリス」である。フェリー二の後期の作品も入れたい気がする。そして 小説の世界ではまずフィリップ・K・ディックであり、そしてまたカート・ヴォネガットである。これらの作家や映画に接したことのある方にはわたしのいいたいこともわかってもらえると思うが、
  田畑あきら子の作品の線や色の精妙さ、鋭敏さ、とりとめのなさ、勝手気ままさに触れたときに、あたらしい感性が時代そのものを表現しているありようを見た思いだった。
  今からいえばそれはサイ・トーンブリを予告し共通する世界をつくりだしていた。方向性はもっと限定されないものなのだが。 そしてトーンブリといえばバスキアが大きく影響をうけたことが知られている。バスキアはまたトーンブリの作品から何をやっても自由なのだということを学んだといっている。さとう陽子について語るべき場で横道にそれすぎているようにうけとられるかもしれない。
  たしかに彼女も線による作風に転じたころ、淡い色彩の下地のうえに描いていて、初期のトーンブリをおもわせる叙情性をみせていた。そのような感情のうえのわかりやすさをすてた白い画面はわたしには探求の決意をしめしているように見える。またこの白い画面は彼女が所作(しょさ)と称して行っているパフォーマンスもしくは舞踏で観客の視線が彼女の動きを追うあの黙契の空間を表すかのようでもある。線は動きである。見るときでさえそれは目と 精神の運動である。
  しかしこの単純なことをわたしたちはそれほど無邪気に行うことは出来なくなっている。
知的で、教養的で、情報に通じ、すべての可能性があり、そして何ひとつ信じることのできない現代。今となっては予言的な、ペケットの「ゴドーを待ちながら」に登場するエストラゴンとポゾーのようにわたしたちは果たされることがけっしてない救いの約束をもとめて右往左往しているように見える。心の対象世界は無限にひろがりながら、そう物質世界でも原子力やDNAの改造などとひろがっているわけだが、わたしたちは何の根拠も責任ももてないでいる。

1998年 「所作」の場 162×261cm
Oil oilpastel bal-point pen on canvas


  〈可能性の芸術〉の作者たちは人間の精神の自由の奔放さの驚異と栄光とともに、そのことと一体の、よりどころのない悲惨さと空虚さの美しさを同時にえがいている。ここに息づいている問題意識と感覚、これを踏まえ、あるいはこれに答えようと試みていないような現代美術の作品は、わたしには大して興味がない。そしてその主人公たちはいつも探究者としての性格を与えられている。
  舞踏における肉体は一見拡大した精神世界から、取り残され逡巡する在在である。土方巽が、近代的合理思想にたいして、また西洋的な舞踏思考にたいして土俗と情念とまがった足で対抗して舞踏を つくって以来、
「肉体のなかに梯子でおりて」さえいけばまったく自由なものになっている。だが一方踊りは困難を克服することをもとめる。バレーは手足を外向きにした不自然な姿勢で肉体の重さを消しさることをめざし、暗黒舞踏は歩みの困難さを舞台の基調にすえていた。神に供えられていたころの名残りなのか。困難さは精神的なものもはいるのかもしれない。
  今の世界に生きてあることの問題が、課題1なのか課題100なのか、身体に課せられ、身体のうごきのなかで世界をあるいは身体を分節化し、また身体に統合する。そしてみまもる私たちは、行為者の真摯な身体行為に、まさにアウラをみるのである。身体によって世界を分節し統合し、線を引くことでで緊張した空間を分節し統合する。この二つの行為は投機する肉体と、確証する視覚を、この二つの要素を、(その視覚は見られる側と見て描く側とに拡がるわけだが)基盤にしていることで同種のドラマのありようを成立させているように思える。

 いまさとう陽子の絵は線からひろがりへ、禁欲から豊穣へと大きくかわろうとしている。理由は知らない。探求にひとつの結果が出たのか。ただこの作品を見ておどろいた。かつて長谷川利行が友人を描いた絵をみて、画集からでは想像もつかないこころを躍らせる軽やかさに利行への見方をかえたことがあった。それと同種の軽やかさがあるようだからである。画面に空間がのこっているからだろうか。
  数日まえフェミニズムの闘士ルイーズ・ブルジョワの彫刻をみた。同じような軽さを感じた。そうするとこの軽さは作家の想像力の自由さをしめすのかもしれない。それとも根拠を手に入れた作家の強さなのか。

さとう陽子 SATOU Yoko

美術家。身体表現者。短詩集「所作ことば」。

1958東京品川生れ
1981日本大学芸術学部卒

〈個展〉
1986「LAND」(Gアートギャラリー・東京)
1987「いま、ここで」(ギャラリー十1・東京)
1988「刹那の構図」(ギャラリー十1・東京)
1989「刹那の構図」(Gアートギャラリー・東京)
1990「日常の、間(はざま)に関して」(Gアートギャラリー・東京)
1991「日常の、間(はざま)に関して」(Gアートギャラリー・東京)
1998「呼吸法」(Gアートギャラリー・東京)
1993「呼吸法一表面張力」(ギャラリー檜・東京)
1994「光張一所作」(ギャラリー檜・東京)
1996「身体の建築物」(ギヤラリー檜、Galerie de Cafe伝・東京)
1997「身体の建築物」(Ga1erie de Cafe伝・東京)
1998「所作の場」(ギャラリー檜・東京3月) 「所作の場」(かねこ・あ一とギャラリー・東京11月)

*1987〜 所作(身体表現)活動

〈グループ展〉
1987「アートのかたち」(神奈川県民ホールギャラリー)
1988「現代美術ストリート '88」(横浜市民ギャラリー・神奈川)
1991「セラフィーム展」(ギャラリーケルビーム・東京)
1992「立ちあがるかたち」(御茶の水画廊、淡路町画廊・東京)
1994.12〜95.1「ENGELUS NOVUS」 (Garerie Gottfried Hafemann・ドイツ)
1995「distance」(ギャラリー檜・東京) 「インナータイド」(Imagination Factory OTT0・神奈川)
1998「版による」(ギャラリー檜・東京6月)

ギャラリー檜 Gallery Hinoki
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