稲憲一郎

テキスト (ウロボロスの首尾は)
テキスト(稲憲一郎論 -ストイックな表現における絵画の欲望について-)
テキスト(稲憲一郎の“試行”あるいは形式に還元されざる何か)

作品1 2004年〜1999年 作品2 2006年(個展より)〜2005年 
   作品3「表面のざらつきのなかで」 SPCgallery(2004年〜2003年/2000〜2001年)
  
作品4 2008年(個展より)

会場/ギャラリー檜
会期/1992年8月31日(月)-9月12日(土)

午前11時30分一午後7時 


水の肖像

 以前、稲さんの個展会場で長々と話していたことがある。実はそれは作品のことではなく、 釣りの話であった。稲さんは、渓流釣の 名人で、あちこちの川を知りつくしている人なのだ。経験と知識に 裏づけられた釣り談義を聞くうちに、作品が、あたかも渓流の表面 のように見えてくるのを感じた。魚を求めて何度も何度も水面に竿 を振り込む姿を想い描きながら、稲さんはこの画面のうえに、いっ たい何を求めてストロークを繰しているのか探ってみたくなっ た。

木にアクリル、鉛筆、オイルスティク210×180×18cm

 

 振り返るに、70年代以前の発表ではコンセプチュアルな作業が多 く、それだけにねらいがはっきりとしていた。たとえば、紙焼した 写真のうえに蜜蝋を塗る作品では、塗りを重ねるに従って薄れてゆ く画像の巾に、どこまで記憶をとどめられるかを探った。また、コ ンクリートの板をフロッタージュする作品は、徐々に再現される象 によって記憶を確認する試みだ。この時期に行った多くの実験は、行為を通して自らの記憶を確認、しようとする、いわば自己の検証作 業であったといえよう。  
  80年代に入り、壁に箱状の形態を配列する仕事が始まる、これは、形態の厳密なバランスを追求する作業であり、純粋な形態の関係を 損なわないように、そこに施される刷毛づかいは極力押さえられた。
この作業は、支持体への着目を促し、同時に筆触を自由に作品の巾 にとどめたいという欲求を高めるに至る。その時から、支持体の形 態とそこに関わる行為の間に生じる視覚現象の追求が開始されたの だ。  
  行為の問題は、かねてからのテーマであった記憶の問題を呼び起 こした。まず、ついたてのような形態をつくり、その両面に塗りを 施していこうとする、一方の面を塗りながら、別な面と比較しよう とすれば、記憶を頼る他に方法はないだろう。しかも、それはあく までも一点の作品であるから、背反する2つの面になってはいけな い。そこで、その2面の間をいくつかの面でなだらかにつなげるこ とで、見る者の視線が自然に裏側へと導かれるように形成した。

木にアクリル、鉛筆、オイルスティク210×180×18cm


  ここでの行為(ストローク)は、まず自動的(オートマチック) に行われなければならない。最初に行為を促すのは支持体の形態で あり、その記憶を辿りながら、もう一方の面に新たな行為を継続さ せるのだ。
  この作品が発表された '86年のギャラリー檜での展示で は、そのほとんどが壁に垂直に展示されたが、次ではこの中の水平 に展示した作品を発展させて、面を大きく湾曲させた横長の形態を 生み出した、曲面のうえでは、今までのように伸びやかなストロー クは行えず、必然的に細かな筆致となってきている。  
  ところで、この時点ではまだ、2つの面をいくつもの面でつなげ る画分割的な形態をとっていたが、視線をさらに自然に移動させる ため、そこを曲面でつなげてみた。そのバリエーションの中で、局 面をゆるやかにとったものは、当然のことながらボリュームのあるモコッとしたかたちになる。
  これらは立体物としての存在感を強く 示しており、それ自体ひとつの形象として目に飛び込んできた。そうした形態に対するドローインクでは、絵画的な形象性は薄れ、純 粋に形態の表面を埋めていく筆致となっているのが興味深い。
  それまでは、もっぱらアクリル絵具だけでドローインクを行って いたが、1988年の神奈川県民ホール・ギャラリーでの発表から鉛筆 を用いるようになる。鉛筆の鋭いストロークのうえにジェッソを混 ぜたジェル・メディウムを塗り重ね、乳白色の半透明な表面を作り 出すのだ、面は平盤となり、それをついたてのようにして壁に並行 に立たせた。端の部分は丸く処理され、そこから続く裏面を意識さ せてはいるが、やはり視線はそこを大きな面として捉えるため、この作品ではストロークの粗密による形象性が甦っている。

 '91年のギャラリー檜での発表から、鉛筆とジェル・メディウム に加えて白のオイル・スティックが使用された。この頃はすでに、 存在感のある立体は影をひそめ、平盤な壁作品や簡潔な形の立体が 中心になっており、それに伴って鉛筆のドローインクが再び形象性 を持ち始めていた。それを埋めるかのように、そのうえからオイ ル・スティックの厚みが掘りこまれてその物質感をさらけ出し、表 層のイリュージョンはますます掻き乱される。  
  今回のギャラリー檜での作品は、表面に複雑な凹凸のある箱状の 支持体に木肌色の地塗り施し、まず鉛筆でストロークを施す。ただ し、これだけの大画面になると、鉛筆の明暗はオイルスティックで 完全に覆われてしまう。そこで、オイル・スティックに黒鉛を混ぜ ることで明暗のコントラストを強めた。またここでは、全面をオー ルオーバーに塗り込めることはせず、大胆に地塗りを残すことで、 イリュージョンを求める視線をことごとくはねのけている。  

木にアクリル、鉛筆、オイルスティク210×180×18cm

 人は、個性らしさを手にしたとき、それを過大評価しがちである。 そこに演出を加え飾り立てることで、逆に本質から離れたものにし てはいないだろうか。巷にあふれる手放しの個性尊重主義や情動に まかせた表現崇拝主義への批判を耳にするとき、稲さんの求めると ころがはっきりと見えてくる。稲さんは、無意識から発する表象を 表現の基本に置きながらも、次の過程で、すぐさまその幻影を打ち消すように別な無意識を重ねてゆく、こうして、表現が表現者から 遠ざかるのを巧妙に防いでいるのだ。
  波のない湖は、風景を鏡のように映し出す。水が、たくさんの岩 にぶつかりながら勢いよく流れるとき、渓流らしさが生まれる。水の姿は、それが波立たなければ見ることはできない。稲さんは、画 面の凹凸に激しくストロークをぷつけながら、自己の痕跡を記す。
  言うまでもなく、そこに描かれるのは、周囲の風景ではない、水そのものである。恣意と無意識の両極を行き来しながら行われる自己の検証作業は、こうして今も続けられていたのだ。表現することの目的は、自己探求以外のなにものでもない。

 

松永康(埼玉県立近代美術館員)

 

 

稲憲一郎 Ine Kenichiro

1947 東京に生れる 
1972 東京造形大学美術科卒業

《個展》
1972「127時間の風物誌」サトウ画廊(東京)
1974「記録一測定」No.1サトウ画廊
1975「記録一測定」No.4サトウ画廊
1976「測定一変質」No.2サトウ画廊
1977「測定一変質」No.3サトウ画廊「測定一変質」 No.4コバヤシ画廊(東京)
1978サトウ画廊
1979ときわ画廊(東京)
1981コバヤシ画廊十ギャラリー檜(東京〕
1982コバヤシ画廊
1983ときわ画廊 コバヤシ画廊
1984ときわ画廊
1985コバヤシ画廊
1986ギャラリー檜
1987ギャラリー檜 コバヤシ画廊十ギャラリーるなん(東京〕ときわ画廊
1988 Sherry Art Space(東京)
1989ギャラリー檜アートフォーラム谷中(東京)
1990かわさきIBM市民文化ギャラリー(川崎)
1991ギャラリー現(東京)
1992ギャラリー檜
1994「根底への間い」1970年代美術 村松画廊(東京)

《その他》
1968 三人展村松画廊
1969 「Qのために用意された椅子」村松画廊
1969−70「精神生理学研究所」参カ 毎月一回郵送による
1970 「ニルヴァーナ展」京都市美術館(京都)
    現代美術野外フェスティバルこどもの国(横浜)
    Summer Exhibition Art & Project(アムステルダム)
    December1970 Art & Project(アムステルダム)
1971 「観念の外延展」ギャラリー16(京都)「言葉とイメージ」展ピナール画廊(東京)
1973 「実務と実施12人展」ピナール画廊 京都ビエンナーレ 京都市美術館
1974 「展 それぞれ」田村画廊(東京)「シグニファイング」京都市芙術館
   「CrossWorks No1」秋川(東京)
1975 「CrossWorks No2」府中浅間山(東京)「AFFAIR & PRAOTICE」現代文化センター
1979 「第六感展」神奈川県民ホールギャラリー(横浜)「現代精鋭展」東京都美術館(東京〕
1982 三人展ギャラリー檜
1983 「方法序説」彩鳳堂画廊(東宗)
1984 「方法序説」日辰画廊(東京)アートフェアーGallery Hinokiギャラリー檜
1985 「 '85版画展」日辰画廊「方法序説」日辰画廊「背後の解読」展 山梨県立美術館(甲府〕
1986 「方法序説」日辰画廊「万象の変様」埼玉県立近代美術館(浦和)
   「国際小さな芸術展」山梨県立近代美術館
1987 「風の姿」ときわ画廊「5月の湘南」藤沢市民ギャラリー「降り立った〈絵画〉」東京都美術館
1988 「響層一湘南」藤沢市民ギャラリー「彩発」ギャラリー檜
   「欲望の海をわたる絵画」川崎市民ギャラリー(川崎)
   「揺相(欲望の海をわたる絵画)」ギャラリー現
   「揺蝕(欲望の海をわたる絵画)」神奈川県民ホールギャラリー
1989 「君よ、時の旋律をたぐれ/」ギャラリー・サージ(東京)
   「豪と静寂と悦楽」代々木アートギャラリー
   「静座する眼差し展」lN Gallery(甲府)
1991 「表層のエロス」ギャラリー・サージ
    distance「ふるえる誘惑」ギャラリー檜
   「線の表現一眼と手のゆくえ」埼玉県立近代美術館
1992 「現代の地平・空間の質」ギャラリー射手座(京都)
   「マグニチュード」展 長岡市美術センター(長岡)
   「眼の座標。」代々木アートギャラリー(東京)

ギャラリー檜 Gallery Hinoki
〒104−0061
東京都中央区銀座3−11−2 高木ビル1F
Tel.03-3545-3240  Fax.03-3545-3284