稲憲一郎

作品1 2004年〜1999年 作品2 2006年(個展より)〜2005年 
   作品3「表面のざらつきのなかで」 SPCgallery(2004年〜2003年/2000〜2001年) 
  
作品4 2008年(個展より)

テキスト (ウロボロスの首尾は)
テキスト(稲憲一郎論 -ストイックな表現における絵画の欲望について-)
テキスト(水の肖像)

会場/ギャラリー檜
会期/1995年1月17日(月)-1月28日(土)

午前11時30分一午後7時 


稲憲一郎の“試行”あるいは形式に還元されざる何か

谷 新 

 昨年、「根底への間い」(村松画廊)という1970年代の美術を振り返る企画のなかで、
久々に稲憲一郎の'70年代の作品を多数見ることができた。
'70年代が担った表現の質はそれらの作品に余すところなく感じられたが、今日の作品との比較で少し引いて眺めても稲の作品はそれほど大きく変わっているわけではないという印象も同時にもった。これらの時代を通したある種の共通項は、簡単にいえばひとつは“表面へのこだわり”であり、他方、イメージの独立を抑えた、あるいはそれだけでは立ち行かない表象をいかに知覚させるかといった問題である。

WORK 94-06 90×155×13cm    
木・合板・アクリル絵具 1994

 最初の間いについては '70年代前半と後半ではかなりの違いがある。前半においてはこの意識は薄く、後半に至ってしだいに強くなり、それはやがて今日の作品につながるひとつの根拠として実現される。 '70年代前半において、「精神生理学研究所」を仲間と設立し、それをきっかけにニルヴァーナ系の作家との交流も始まるわけだが、コンセプチュアルで脱美術的な志向件に多く寄っていたこの時代の稲にあって、表面への関心は確かに希薄だったかもしれない。だが、志向性あるいは関心がたとえ別なところにあったにしても、作品として後日集積されるとき、その時点では意識されていなかった問題が別な意味を担って知覚されるということはよくあることだ。ちょうどそれと同じような見えかたが、稲の '70年代前半の主に写真による表現には伺えたのである。

 '71年の最初の個展では、画廊(サトウ画廊)の内部の写真を毎日1枚ずつアングルを変えて撮影していくというものであった。全体を撮ったものや椅子など画廊の備品を撮ったものなど、対象はさまざまだが、毎日個別に構えたアングルであっても、それらが集積されることでもってしまうそのつどの作家の意識とは別な視覚が今日では重きを置かれて見られてしまう。もっといえば、その時代においては明らかに“繰り返し”“非表象性”“表現における時間意識”“日々の行為”といったコンテキストにからむ仕事が、今日ではそれと同時に別様な意味も投げかけているということである。

 第2の点については、平面であれレリーフ絵画であれ、絵画形式への立ち戻りがなかなかできなかったということと関係している。
稲の意識としては支持体を問わない絵画への回帰は作家姿勢としてしにくかったのだろう。依然 '70年代前半の意識を残存させつつ、わずかではあるが“表面質”に問題を集約して表現を志向していく傾向があらわれてくる。それが '70年代後半の表現を特徴づけている。 '77年に集中的にあらわれた表現を今見てみると、たとえば「測定-変質」のようなシリーズがそうである。
  自宅周辺のなにげない風景を撮った写真のシリーズだが、同一写真であるのに片方はプリントのまま、もうひとつは表面をコーティングして視覚へのイメージの立ちあらわれを表面質に還元することで対比的に見せている。やはり風景写真をシルクスクリーンで表現した作品では、塀の光と影の部分とを繰り返しの造形要因としながら、上から蜜ロウを塗って表面質に知覚が一度はくぐるようにつくられている。また、同じ対象の別な作品では、シルクスクリーンであらわされた表現の下のほうで版をつぶして、そこにドゥローイングのタッチをかぶせている。
  '77年前後の時代の重要性はここでは詳述できないが、稲にとっての ' 77年は以上のような表現に特徴的にあらわれていよう。<知覚、位置、時間>などをモティーフに '70年代前半において多様な課題をみずからに課してきた稲は、明らかにこの時点を表現の転換点とした。それまで引きずってきたコンセプトと志向性をすっぱりと切ることはできない。
  しかし、従来のままのそれではもう立ち行かなくなった当時の事情がこれらの作品にはよく反映されていると見ることができる。自宅付近というもっとも自身にとって何のへんてつもない風景を対象に、表現法としてはもっともベ一シックで、それ自体に意味を還元しにくいコーティングという方法や、プリントにみずからほんのわずかの手跡(ドゥローインク)をかぶせるという方法により稲は今日の立体絵画もしくはレリーフ絵画への道筋に動いたのである。
  しかし、稲はコンセプチュアリズムの時代に見られるように早熟であったにもかかわらず、絵画への回帰には相当時間がかかっている。それだけそれまでの志向性に対する意識や姿勢が濃厚に自身をがんじがらめにしていたということもできる。しかし、この時点に宿った問題は今日でもやはり引きずっているということはいえるのである。レリーフや立体絵画へのステップの前の稲の仕事を見ると、表象された対象に平面性やドゥローインクの痕跡を見ようとする傾向、板を用いてのフロッタージュとを見ることができる。前者は、先と同じく '77年の発表だが、収穫の終わった畑を飽くことなく撮影している。 '70年代前半を引きずった意識でいえば、撮影という行為の持続、日常性、位置と視覚という問題に傾いていくはずだが、この作品はそうした見解で語ることがむずかしい。
  むしろ 強く意識されてくるのは、刈りとった麦かなにかの農作物がアトランダムに散らばった状態のイメージであり、それは写真とはいえドゥローイングのようなタッチを知覚させる。また、後者は対象(板)を支持体に刷り込むという行為にほかならない。これらは先の写真やそれにもとづくシルクスクリーンの仕事とは異質だが、独立しては立ち行かないイメージと支持体の関係にひどくこだわっているということで、問題意識としては密接に関係していくものである。

WORK 94−07 160×90×1cm    
木・合板・ アクリル絵具 1994

  '80年代ニューウェーヴの台頭のなかで、稲の表現のステップはおおいに遅延したものになったというべきかもしれない。簡単には時流に便乗できないこだわりがあったためだろう。 '70年代の問題意識を温存しつつ、ごくおおざっぱに今日の表現を感じさせる作品に至ったのは '80年代も半ばを迎えていたといってよいだろう。 '80年代前半から稲は少し厚めのタブローを用いたレリーフ作品を発表するようになるが、 '80年代半ばに至っていわゆる矩形を外した作品を発表するようになった。表面には彩色が施され、その意味ではほぼモノトーンであった '70年代の表現の面影はない。しかし、さりとてかっての問題を捨て去ったのではなかった。簡単にいえば稲の絵画はレリーフであれ、表面的なものの組み合わせでできており、その意味ではどのように立体化しても絵画もしくは絵画からの派生という出自をみずから課している。
  '87年ころには「風の姿」、「降り立った絵 画」など、壁からいちじるしく作品が飛び出したり、床に置かれる作品もあらわれるが、これらについても絵画であるという意識は変わらない。壁と床置きの作品を対比的に見せることも '80年代後半にはしばしば試みている。

 また、 '80年代末からはドゥローイングを矩形の画面全体にもたらす作品を展開したほか、 '90年代に入ってオイルスティックを加えて表象性を強く知覚させる試みもおこなっている。この時代の作品傾向は、一方で形式をおおいに逸脱する方向を選びつつ、他方ドゥローイングの作品(描いては消し、消しては描くという '70年代後半の多くの方法も感じさせる)に見られるように、描くことであらわされるイメージにより牽引される作品も存在する。これらは '70年代の試行にすでにフォーマットがあるものについて、方法を変えて、またそれぞれ掘り込んで再度実現しようとした作品ということもできるだろう。やはりべーシックな問題としてはあまり動いてはいないのである。

 今回の個展では、いずれも壁にセッティングされる作品が発表されるが、大きくふくらみをもったレリーフ絵画とタブローであり、依然多様な志向が試みられているといってよい。いずれも彩色され、中には格子模様の描きかたを施した作品もある。その意味では '80年代のドウローイングによる表象性とは異なった内容の表現となるだろう。
  しかし、それのみに意識が集中しているわけではなく、表現形式の対比や作品セッティングの状態の問題も当然これらの作品にはからんでこざるをえない。つまり<描かれる形式><表面に施されるイメージと表面性>くセッティングした作品相互と場の関係>という点に観点はあるといってよいだろう。それらは稲の意識のなかでは循環構造を帯びた対等の力関係をもっており、これまでのところそれらに安直な解決を急がせるようなものにはなっていない。また急ぐべき問題でもないだろう。しかし、その一方で、それらの関係のバランスに立つことが今日どれだけの重量をもった間いであるのかという点も、また稲の外部からのしかかっている問題であることも事実なのである。
  稲はそのこともじゅうぷん意識しつつ、安易には捨て去れないみずからのテーマと化した出自の時間を大切に見ているといってもよいだろう。

(たにあらた 美術評論家)

稲憲一郎 Ine Kenichiro

1947 東京に生れる 
1972 東京造形大学美術科卒業

《個展》
1972「127時間の風物誌」サトウ画廊(東京)
1974「記録一測定」No.1サトウ画廊
1975「記録一測定」No.4サトウ画廊
1976「測定一変質」No.2サトウ画廊
1977「測定一変質」No.3サトウ画廊「測定一変質」 No.4コバヤシ画廊(東京)
1978サトウ画廊
1979ときわ画廊(東京)
1981コバヤシ画廊十ギャラリー檜(東京〕
1982コバヤシ画廊
1983ときわ画廊 コバヤシ画廊
1984ときわ画廊
1985コバヤシ画廊
1986ギャラリー檜
1987ギャラリー檜 コバヤシ画廊十ギャラリーるなん(東京〕ときわ画廊
1988 Sherry Art Space(東京)
1989ギャラリー檜アートフォーラム谷中(東京)
1990かわさきIBM市民文化ギャラリー(川崎)
1991ギャラリー現(東京)
1992ギャラリー檜
1994「根底への間い」1970年代美術 村松画廊(東京)

《その他》
1968 三人展村松画廊
1969 「Qのために用意された椅子」村松画廊
1969−70「精神生理学研究所」参カ 毎月一回郵送による
1970 「ニルヴァーナ展」京都市美術館(京都)
    現代美術野外フェスティバルこどもの国(横浜)
    Summer Exhibition Art & Project(アムステルダム)
    December1970 Art & Project(アムステルダム)
1971 「観念の外延展」ギャラリー16(京都)「言葉とイメージ」展ピナール画廊(東京)
1973 「実務と実施12人展」ピナール画廊 京都ビエンナーレ 京都市美術館
1974 「展 それぞれ」田村画廊(東京)「シグニファイング」京都市芙術館
   「CrossWorks No1」秋川(東京)
1975 「CrossWorks No2」府中浅間山(東京)「AFFAIR & PRAOTICE」現代文化センター
1979 「第六感展」神奈川県民ホールギャラリー(横浜)「現代精鋭展」東京都美術館(東京〕
1982 三人展ギャラリー檜
1983 「方法序説」彩鳳堂画廊(東宗)
1984 「方法序説」日辰画廊(東京)アートフェアーGallery Hinokiギャラリー檜
1985 「 '85版画展」日辰画廊「方法序説」日辰画廊「背後の解読」展 山梨県立美術館(甲府〕
1986 「方法序説」日辰画廊「万象の変様」埼玉県立近代美術館(浦和)
   「国際小さな芸術展」山梨県立近代美術館
1987 「風の姿」ときわ画廊「5月の湘南」藤沢市民ギャラリー「降り立った〈絵画〉」東京都美術館
1988 「響層一湘南」藤沢市民ギャラリー「彩発」ギャラリー檜
   「欲望の海をわたる絵画」川崎市民ギャラリー(川崎)
   「揺相(欲望の海をわたる絵画)」ギャラリー現
   「揺蝕(欲望の海をわたる絵画)」神奈川県民ホールギャラリー
1989 「君よ、時の旋律をたぐれ/」ギャラリー・サージ(東京)
   「豪と静寂と悦楽」代々木アートギャラリー
   「静座する眼差し展」lN Gallery(甲府)
1991 「表層のエロス」ギャラリー・サージ
    distance「ふるえる誘惑」ギャラリー檜
   「線の表現一眼と手のゆくえ」埼玉県立近代美術館
1992 「現代の地平・空間の質」ギャラリー射手座(京都)
   「マグニチュード」展 長岡市美術センター(長岡)
   「眼の座標。」代々木アートギャラリー(東京)

ギャラリー檜 Gallery Hinoki
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