キスト(水の肖像)
テキスト(稲憲一郎の“試行”あるいは形式に還元されざる何か)

作品1 2004年〜1999年 作品2 2006年(個展より)〜2005年 
   作品3「表面のざらつきのなかで」 SPCgallery(2004年〜2003年/2000〜2001年)
  
作品4 2008年(個展より)

 

ウロボロスの首尾は・・

平井亮一

媒体へ

 かえりみれば、わが国で1970年前後までもちこされたダダ的還元のいくつかの動きは、せんじつめるなら、物質と観念と、そしてそのかかわりのことを析出した。これを海外のいくつかの動向と対比させるまでもなく、もっとも重要なのは、こうした析出を経て当事者たちが媒体形式それぞれをあらため、かつとりあえず同一化するにいたったことであろう。なかんずく美術表出は媒体として相応の物質なり装置を採ることでなりたち、ひっきょうは、もろもろの観念も予見もそうした事物(いまや写真・ 図版・日常物品などほかの媒体物や情報を引用、なぞっている)を媒体にすること によってのみ存在する。そこでは媒体化される事物、それとからむもろもろの要素・ 条件の、隠された統合がおこなわれるはずだ。ダダ的還元は、歴史過程というより、 むしろ、心ある表出者のなかでこれからもくりかえしおこなわれ たえず批判をはらみつつ、アドルノのいうような非同一性へとおもむく契機を介入させるよすがとなる 原理的な機制であるといわなけれぱなるまい。そのうえで、おきまりの媒体を手にしようとしまいと、この媒体化のうちに、それに限定されたある種の、ニクラス・ ルーマンのことぱをかりるなら「確実性に対する等価物」をひとがみることになるの であって、それでこそ、もろもろの「反省はメディア」となるのである。

 観念と物質と相関しながらの乖離現象は、当時の一連の概念的な表出、いっぽうの物体表出(いわゆる「もの派」もふくむ)の分立にみてとることができる。その後 70年代なかばからは稲憲一郎の周辺でも絵画への回帰がとりざたされることになっ た。そこには批評もふくめ当事者たちの戦術的な状況対応もみられはしたけれど、こ れらの動向をいちがいにご都合主義的な媒体変更として既得の平面統合の高みからお としめるのは、いっぽうで媒体形式の特定の同一性への先験的なとどまりでしかない。そのころ、いちどダダ的還元された物質で、物質としての性状・様態を相応の事態にすることを指し示す実践が一部の物体表出であったとするなら、これはそのまま 物質の媒体化を意味する。げんに、物質のこうした事態化つまり媒体化の持続的な分 節がついに絵画になって事態そのものに変容をきたしたのは、榎倉康二、李禹煥、 藤井博たちの仕事で示されてきた。こうした媒体化対象の変化・移行をめぐっては、 多分に図式的演繹的な営為であったものの、2005年にICCで筆者がみたローリー・ア ンダースンによる手をかえ品をかえの各種媒体横断の実践が、おなじ事物を参照して もことがらにそれぞれ変容をきたす事態をつぶさにつたえていた。

 1969年、「精神生理学研究所」という名ではじまった稲の歴史にのこる概念的な営為もまた、それが一種のダダ的還元であるかぎり、そのはてでかれの表出営為への意志はなにかを媒体することで一歩をしるすほかない。それなら、やはり相応の物質を 手にとり媒体化すること、ひいてはその白已組織の作動にも賭けること。そのうえで あらためて、この媒体形式に限定されたある種の「確実性」とその「等価物」を作品 にみることとなろう。1980年代、かれがあえて手にしたあのサーフボードのような奇 妙な支持体は、概念と物質とのかかわりからみちびかれての、特定物質の媒体化とそ のいわぱイニシェーションであったかもしれない。そこには当然、物質がらみで事態 の変容がまちうけており、これは、とうに自明のものとされている平らな表面として の画布と、いっぽうのボードとそれぞれ事態のちがい、またそれへの応対のいかんといった問いを抱えこまずにはいない。そうであれば、媒体関与へのかれのそうしたまっとうな問いかけのまえに、私たちはそのつど足をとめざるをえないのである。

 すでに曲面量塊状の支持体による絵画で、かれが相応のそして特殊な媒体形式を世にもたらしたのは周知のとおりである。そのなかには、物質的な与件に関心をむけな がら、やや方形で平らなボードに三角状の色面をおき、まわりの筆あとと交差させた ほとんど平面作品といえるこころみ「work 01−34」などがある。ここでかれは、曲面体ながら、ほぼ平らな表面に不定形の色面を大きく画し、色相、筆触、質感がらみの 複雑な交錯でそこをみたした。支持体のそりや角の丸みなど、こうした特殊な条件の みが出来させる平面作品としてその多くがわれわれを納得させるものであった。 こうしてみると、1980年代からの曲面量塊絵画もまた、その平面化へ物としての事態をすこしずらすだけで、画面での統合の実践形式にあきらかな変容をきたしていることがわかる。

両義性へ

 2000年に水彩画「Flow」があらわれ、そこではまえに作られた横ざまの曲面体が再現的にえがかれている。そして2003年には、曲面体とその下に不定形の色面とが並ぶ油彩画が画布にえがかれるにいたった。「immature plane」のはしりである。そこに 再現された曲面体は、いずれのほうもごくあたりまえの明暗法によってその見かけだけが平明になぞられ、それだけにいっそう、現物と描写とのあいだの乖離、つまりは 特定の媒材によってえがかれた現物類像をささえるえがき手や、それをみる者による隠された統合というものの、途方もない虚構にわれわれは気づくことになろう。曲面体絵画の陰影つき類像と、かたやもやもやした色面、地というよりは一種の視像面 と、この異なるカテゴリーの同在はみる者にある種の異和感をもたらさずにはいない。こともあろうにこの色面の上にはそこがもともと地であるかのように曲面体のおとす影さえもえがかれているではないか。

 物質としての事態をかれはいっきょにまっ平らなところにもっていったのである。 四方の縁で仕切られるこの場所は、量塊の表面とべつのものであり、そこに継起するできごとはべつのことがらとなる。かれはこの臨界をこえた。そのまえの年には曲面 支持体の各相を個展で総括しているので、満を持したあげくのなりゆきであったかもしれない。

 油彩画でかれはあきらかに営為の自己参照を始めてる。そうした両義的な事態によ って絵画の条件の一端を仮設的にかいまみようというのである。それは、とりあえず 量塊曲面作品を平面作品で参照し、さまざまな視点からなぞることによっている。以前おこなったように曲面と平面と実践の両様を並べるのではなく、そのすべてを同一 画布のうえにもってきて、絵画という媒体形式での支持体の別様つまり曲面体作品のことをも、そこで同義反復的になぞることでいっしょにしてみようというのである。 自己参照によるこの牽強付会、画布の上の同一化でうまれるのは、まず支持体の様態 のちがいに由来するイリュージョンと知覚のねじれであり、つぎに画面での、いわゆる具象と抽象とのちぐはぐな同在・乖離であった。画面を一見して奇妙な異和をおぼえるゆえんである。絵画のなりたちの同一性を突くという意味で、この異和は、かれにとってむしろ当然であった。

  そのいっぽうで、この自己参照の強行はある種の余剰なるものの識閾を、もっとい うならアイロニーの気配をそこにもちきたらさずにはいない。このたぐいのアイロニーの提示は先刻おなじみのものではあるけれど、稲の場合ことは媒体形式のいかん にかかっている。それをかれは骨身を惜しまずていねいな制作でおこなうのだ。もとよりアイロニーは意味作用のたわむれに属する。ところが、こうした意味作用とのたわむれにとどまらず、ひろく世界や事物などを参照しても、これが物質などの媒体化 を通しまともにことをすすめるかぎりにおいて、そこにもちきたらされるのは、まぎ れもないひとつの統合の実践、その形式にほかならない。世界や事物が逆にそうした 媒体形式のほうをそのつど照らしだすのだといってもよい。

  稲のこの多分に例証的範列的な自己参照が、いっぽうでれっきとした媒体形式とその強度を得るかどうか、これはじつはかれのそもそもの表出意図にかかっている。と いうのも、自己消尽をくりかえすウロボロスの龍のように支持体両様に根ざしたかれの両義的な実践は、その例証と事例のこころみを仮設的にくりかえす可能性をもともと内包しているからである。そうしたことから、とりあえず中枢をなすのは、2003年 発表の、おなじ筆づかいながら正面きった油彩画三幅対「immature plane 03−3(以 下は番号のみをしるす)」と、これからつらなる作品のいくつかにみる収束のかたち であるにちがいない。それは矛盾ぶくみで翌年にひきつがれ、そこでは、あの支持体 形式別によるイリュージョンのちがいを複数でなくひとつの画面にしようとのこころみがはっきりみてとれるからである。べつべつの画面でのこころみ、それらのつきあ わせ、えがかれた事物の相互疎隔などがここでは同質もしくは同一画布でのこととし て参照され、このことから起こる知覚現実の変容や相互の干渉などがようやくかれの 眼差しをとらえはじめているようだ。

 もとより絵は絵のことでもあるにちがいない。しかし絵のことは絵のなんらかの疎外なしにはありえない。だから稲がずっと着目してきた両義的なもののあわいはそうしたことの局面づくりでもあったにちがいない。その場合でも、それぞれの例証、範 列をつきあわせるのではなく、そうした局面をひとつの画布でのこととして交錯させ るのは、はたして可能だろうか。いいかえるなら、各節列のあいだではなく、まさに 同一で同質の画布に局面をみること。さらにいうならこれは、そのようにして、むし ろこの画面のほうにみるに値する局面をもたらすことでもあるにちがいない。

 かれが三幅対、一対と各範列のこころみを順次いっしょにし、その数をへらし、そ してついに一幅の大画面に局面を対抗させ収斂させる筋道をたどるにいたったのは 2005年のたとえば「05−28」においてであろう。曲面体が再現的に参照されているも のの、そのまわりすべてを領する青みがかった深い色調の重なり、それと強い明暗の 対比をもってほとぱしる白い帯のような油彩のかがやきなどは、参照するもののない 視像面をなしている。これらと曲面体の再現イリュージョンとの差異じたいがここで 画面の局面となっていることのほうに注目しよう。一枚画布への各範列のこのような 不穏な収斂は、いっぽうかれの積年の両義的白已言及が、その道すがら、媒体とかか わる統合の実践、この媒体形式をともあれそこひとつに限定するにいたったことを示 しているようにみえる。

緑内へ

  物質としての支持体でその事態に変更があれば、これにささえられた画面とのかかわりに変容をきたすということは、1970年前後の白已指示的な一部物体表出がたどった原理的な道筋のさきで示唆されたことでもある。物質的な事態の変更は媒体形式の変化と重なる。媒体形式は、そうした事態とかかわる統合の実践形式とそのゆらぎであるほかない。それは、相応の媒体で複製や流通する事物をなぞるシミュレーション・アートなども例外たりえないだろう。

 そこでつぎのように考えてみよう。平面とは物質にかかるそうした事態のひとつの限定であり、この場合のことがらは、モティーフ如何ともどもあげて事態とのかかわりになる。したがって物質などにもろもろの要素・条件がからんで出来させるそれならではの結界で、美術のことがらはそうした物質の事態がらみの媒体化に発しそこに帰する。このようにしてこの統合の実践とその形式が、これにかかわる認識ぶくみでみずからを組織しみずからに構造をあたえるなら、それこそがみずからを在らしめるゆえんのものであろう、と。そしてむろん、外部の世界はこれとつかずはなれず並走する。

  いったん曲面をはなれれぱ、平面での統合もその自己組織化と自己構造化の筋道をとおすことになる。それなら稲の媒体二重映しも事態としては画布、それも同質の画面ひとつという場所にことがらが収束することで首尾をまっとうするのだろうか。曲面と平面と両義にわたる自己参照もそこで、つまり画布の縁の内側で、なお同一性をみずからうちやぶる契機をまねきよせてゆくのであろうか。かれがおこなった複数画布の接合・一体化から画布ひとつだけへの移行のあいだには、当然かれの過去への遡行と、きたるべきものへの試行とを混在させてひと筋縄ではない問題が隠されている。さきだって、おなじ2005年の個展「素描」のこころみではじまるその後の歩みは、そうした問いのまえに観客の眼差しをじかにみちびかずにいないものである。ぎくしゃくとあえて大小、範列のちがいをとりまぜ間あいを変えての展示もその韜晦を助長した。  

  画布の縁の内側からすれば、ほかはすべて外側であり外部である。そのような特定物体の媒体化と結界がそれをすでに決定づけている。稲の絵画でも平面にたいして量塊曲面の存在は外部たらざるをえない。平面の上と立面の量塊との差がそうさせるからである。稲が棹さしたところも、そのことにもとづく位相のねじれであった。そうであれば、ここには、曲面上の絵画と平面上のそれとの構造のちがいのことも、なんらかのかたちで絵画としてさしだされる余地はあるのだろう。かれのくりかえしてきた自己参照の実践は、そうした問合いをじれったそうに指し示している。

周縁へ

 画布一枚の外部には、とりとめなく広い世界がひらけている。ところが、そうした事物や世界へと営為をさしむけても、画面とのかかわりはそのなんらかの自己言及たらざるをえない。そればかりか媒体形式の様相はそのことをとおしていく重にも変わり差異を画してゆくだろう。げんにそうした現代の事例を私たちはみてきているし、そのことにいわゆる具象、抽象といった様式のちがいはない。

  近ごろになって稲の仕事にみすごせない要素が加わった。それは2006年のグループ展「ラスコーの夢をみた」でかれが写真とかかわったことによるものである。かれの過去の作品を、それもレンズの半分を遮光板でさえぎって写し、そのためにもたらされるピントと光の撹乱現象を油彩で画布に参照した。明暗をわける空間の茫漠をおもわせ、にもかかわらず油彩の重い質量が深ぶかと横ざま縦ざまにはしる視像としての画面は、かれのそれまでの営為をもことごとく異化しているかのようである。そこでは、これと定めがたい知覚の現実がみずからを組織し、なおふさわしい構造をみいだそうと息づき、それを眼にみえるかたちにするよう画家をいざなっているかのようだ。たとえば、小品ながら同年の「06−37」などは、これが大画面の場合だとどうだろうか、などとおもわせるには十分なものであった。

  もともと、画面とのかかわりには知覚の作用がかなりあずかっていて、そこはむしろ無明の領分でもある。かれがカメラをつかい自作にむけておこなった視覚の異化もまた、知覚作用の無明をとおしてそのさき、自己言及がついに媒体の外部に通じそれをよびこむ余地をとどめるものであるかもしれない。かれはそのときの知覚の体験を、たとえば「暗い部屋から外のまばゆい光へと眼差しを移すとき」の一瞬の眩暈といっている(個展メモ2006)。そこはまた自己言及が操作としての自己参照、自己消尽の機制とつい分かれる契機のひそむところでもあるにちがいない。ひいては、自己消尽をくりかえすウロボロスの循環が外部にむかってゆっくりひらけてゆくなら、画面とかかわる稲の統合の実践と形式はまさに画布の内側で様相を変えてゆくのかもしれないとも。かれがつねづね「制作とは世界と出会う方法であり、作品は世界と出会う場でもある」(制作メモ2003)といっている思いにもふさわしい境域である。

 そうしたことを感じさせずにはいない画布一枚の作品「06−37」は、こんどは、あの曲面体と同在の画布に移され、ひきおこされる再現像と視像との乖離によって奇妙な知覚作用をもよおす画面の一部へと変わる。統合のこの移しかえはまさに位相をかえての変容というほかないものだ。さきの茫洋とした色料の広がる画面は転じて、えたいのしれない曲面体が浮遊する後景のようにもみえてそのままが、いかなる参照対象からもはなれてしまう視 像・幻影の混在となる。こうしておなじ個展のものでも前作と、この「06−44」とのあいだにみる統合のへだたりはおおきい。さすがに、この個展での展示構成もまた、こうしたさまざまな作品のあいだに作用する相互異化を意図するものであった。にもかかわらず、画面をまえに、観客の眼を領する知覚の現実には変化がきざしていることにも気づかざるをえない。そこはかとなく、ウロボロスの定めも外にむけほぐれひらけてゆく気配、とでもいうべきか。
  カメラレンズをなかだちにした眩暈「まばゆい光」の一瞬は、おそらく、かれの過去の参照を逸脱してゆく知覚の領分にふれている。

未成へ

 ところで、かれの油彩画の根幹はずっとこういうことであった。ともあれ、めざすのは「再現的な描写という方法、そしてその他の画面を構成する様々な要素が統一され調和するのではなく、分離し混在するような空間として」えがくことであり、ひいてはそれが「『絵画の全体性の新たな回復』への展望」であるとして、問題は、はたしてそれを「単一の形式(絵画)において成しえるかどうか」にかかっていると(眼の座標XIV展カタログ2003)。じじつかれの積年の仕事は、この問題意識でみごと一貫してきた。

 それはそうとして、はなしはさかのぼるけれど、かれの曲面量塊にささえられた絵画が、やや平らなそれもふくめ、それじたいの媒体形式の様相を自己言及をとおしてゆたかにし、それら統合の微細な差異をよく指し示すのを私たちはすでにみた。2000年までのことである。これはいちめんで、物質としての媒体での事態の変化が絵画という媒体形式にもたらす変容を、つぶさにつたえるものであった。その表層は、曲面ならではの輝きと様態を成す色料、かたや相応に変わるかたちとによって、そこにそのような媒体形式が存在しうることをつたえずにはいなかった。そしてさきの言明どおり、これら曲面体を参照するかれの平面媒体は、その両義性のねじれの様相を画面でくりかえし例証的に示してきた。
  それらのあいだに発する異和はもとよりかれが意図したものである。しかし、その過程をおうごとに例証ひとつひとつ、つまりは作品ひとつひとつ、ほかならぬその画面からはじかにもうひとつ余剰なるものの影がきざし、それを発生させみずから組織づくる知覚の現実に私たちは当面することになるだろう。げんに2005年以降「immature plane」では、描くことと塗ることのちがい、それが画する色面と空間とのきわ、同質な知覚と幻影、色価の統一、そして外部を映す眼差し、などなどと画幅いっぱい知覚と幻影にわたる分節の様相がひらけてきている。位相のちがう画面ひとつひとつが、その縁の内側にそれぞれことがらを輻輳させて自己構造化してゆくきざし、とでもいおうか。  

 これは、媒体化がその事態をずらすごとに、色彩や手法もふくめその内包をゆたかにしてことがらをそこにしぼってゆく機制のしるしでもあるにちがいない。文字どおり「未成の」絵画との同伴であり、こうした事態こそが結果として、曲面量塊による作品がたしかに体していたのとはおのずから異なる媒体形式を画然ともたらすゆえんとなろう。

 観客の眼には、稲のたゆみない営為はいま、ぼんやりとではあるけれど次のようなところにさしかかっているようにもみえる。ひとつは、あの例証的、範列的な絵画のこころみをくりかえし表層的に指し示す実践にいっそう徹すること。ひいては、ひとつひとつが「分離し混在する」絵画の疎外空間を正面きってしつらえる方途で、これはむしろ会場をも媒体にする設営(インスタレーション)であるかもしれない。そしてもうひとつは、媒体化と知覚がひらき示す筋道にしたがって、自己参照から色彩や手法のこと、外部の干渉もふくめ画家のかかわるもろもろの「反省」がそのまま媒体であり、媒体形式の自己実現であるような統合の方途。ここで、あるいは複数の画面も一体の構造を得るのかもしれない。むろんこのいずれもが可能であり、時流とかかわりなく原理的な存在理由をもっている。いや、これらのあわいもまた…。

 そこは、かれの長年にわたる表出検証の持続とつきつめがおいおい析出した界面であるといおう。1970年前後、観念と物質とのあわいに表出の出自をおいた者の筋道をとおしたいとなみがついにそれに逢着した。観客にとって、そうした境位からこののち、かれの「未成」がどのような首尾をたどるのかは興味ぶかいところである。2008年初頭をかざるかれの仕事は、到来すべき可能性をかかえ、ほぼ支持体刑に展示されるという。

 

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