たとえば、キャンバスの上に一本の線が描かれたとしても、そこには絵画的表象としてのイリュージョンが生まれる。そしてキャンバスの上に描かれ た色や形による表象は、絵を描き出すために使われたキャンバスや絵の具と いったものが「何か」に変質する事でもあるのだろう。
  私達は絵にいったい何を見ようとしているのだろう。キャンバスの表面に 現れた「何か」が対象化されたものであれ非対象化であれ、それをみること が、見る者の経験や認識といった世界との関係の在り様によって濾過される 事であるとすれば、それは見る者にとって常に「何か」についての表現として、絵画の背後、奥行きの中で見るものであり「どの様に」描くかという 事に先行しているのだろう。しかしそれらはキャンバスや絵の具といったの ものによって、キャンバスの上に色やかたちとして置かれ、いわばものと関 わり合いながら描くことを進めざるを得ない絵画の「どの様に」描くかとい うことの、ものが「何か」に変質する瞬間に立ち会うことでもあり、そこに は絵画そのものから見えてくるものがあるのだろう。
  今回の展覧会では各作家が新作とそれにつながる過去の作品を展示する ことによって、時間の厚みの中でみてもらうことが出来ると思う。

稲憲一郎


ギャラリー檜/練馬区立美術館/展示風景、作品 

平井亮一「視像のゆくえ」テキスト

 

稲憲一郎 1947年 東京都練馬区生まれ

 ひざしが葉の表をあざやかな緑の光りに変えその下に濃い陰をつくる。色彩や輪郭を滲ませ同時に目に入ってくる。物が事に変わる瞬間かもしれない。描くことが「何を」を画布の表層から奥へと押しやるとすれば、「どの様に」描くかは色や形が画布の上に置かれ、それらの現れを瞬間、瞬間に受容し決定する作業の堆積、画布や絵の具といった物のざらつきの中で、表層の出来事に引き戻す。

坪田菜穂子 1982年 神奈川県川崎市生まれ

 2007年 多摩美術大学大学院美術研究科終了
個展に [空を撃つ] 2004年 PLACE M. [つらぬかれるもの] ギャラリー檜. [Cのかたわら] 2006年MUSEE F.

逆説的に中心のその周縁にあるものを みる ことによって

 

北村周一 1952年 石川県生まれ
    静岡県清水市に育つ

《substance》桃花峡より、N氏へ。「物資」に着目しながら、画布と絵の具のありようを模索するこころみも、実のところぎこちない作業になりがちであり、長いトンネルのなかしばし拘泥を余儀なくされていましたが、「速度」におもい至ることができたからでしょうか、幾分先が見えてきました。なるほど、アンチノミ−はひとつ在所にあるのですね。たとえば死と、生のように。

藤井博 1942年 岐阜県生まれ

 [浮遊する視線性は・・・]視る。見る。私がみる。ある何物かを、またはぼんやりと何となく前方、周囲を。この私の中にその個人性のみでなく、その外大勢の人々の目が融け込み含まれている。私と私以外の私、そしてその全体の私。みること、みえることには、私と私の間、外界との間に、ある種の視線性が浮遊している。視線は浮遊し、ぬい込まれ、または、ずれる。

橘田尚之 1947年 山梨県生まれ

 絵画をキャンバスの上に繋ぎ止めておきたいので杭を打つことにした。そこでキャンバスの上で金属粉錆びさせて色を作った。描くことは奥行きを作ることでもあるので、ずぶずぶと安定が悪い。けれども錆の部分は地表にあるもののようにそこに留まり続けると思う。立体の場合、その表面を錆びさせることはものが持つ深みを消すことでもあるから。

みわはるき 1947年 北海道札幌市生まれ

輪郭はひたすら美しい。それはどちらにも、背景にも形態にも属さず、同時にそのどちらでもあるという、在り方で、私を誘惑する。魔術などあり得ない、でっち上げだといくら抗議したところで、たとえ何万言を費やしたとしても、何の意味も為さない。私の欲望は聞く耳など持たない。眼はすでに何も見ていない。一瞬の出会いに賭けて、私の手がそれをなぞり続けるだけだ。

さとう陽子 1958年 東京都品川区生まれ

絵が好きだ。とても。
そこには、部分なのに全体がある。空っぽなのに満ちている。

森岡純 1949年 島根県生まれ

 出来るだけ、何も無い所を撮りたい。物語が生まれないもの、特別でないもの、季節が分からないもの。光と影は、撮れてしまう、その面白さもあるが、出来るだけ避けたい。撮ったものは忘れることが無い、その重なりが、写真を作るのだろう。街を歩く、写真をとる、見ることは疲れる、撮ってプリント、そして見る、その時には次の風景を見ている、プリントをした時点で事は、終わっている。


視像のゆくえ

平井亮一

 のっけからラカンの名などくちにするのも気がひけますが、たいしたはなしではありません。 かれがれいの「無音識」についてある公開講座ではなした内容を、なん年もまえに雑誌で読ん だおぼえがあります。むろんくわしいことは忘れている。それでもかれが「無意識」について、 それがことばとして「構造化」されていることのゆえんをいくつか比喩をかさね説いていたこ とはおぼえています。じつはそのなかでかれがふと口にしたある状景のことだけ、あざやかに わたしの頭に残りました。それは、かれが当の講座のために宿泊したアメリカはとある都市の ホテルの窓ごしにたまたま見おろした、たしか、朝あけにまたたきつづけるネオンサインや、 車のゆく街頭の眺めについてです。寝おきの窓からの眺め、身じたくをはじめたかれのまなざ しをふと領したこれこそが「無意識」なるもののあらわれではなかったのか、などとかれがく ちにした、講述のなかのつぶやきにも似たくだりです。それをうけかれは、そうしたものの微 細なあらわれのもとで消されうしなわれているなにかをさがしもとめるそこに「主体」は存在 する…などといった趣旨のことをはなしていたようにおもいます。
 わたしの想起が当をえたものであるかどうかはさておき、窓ごしの状景にふれたさりげない かれの述懐がずっとわたしの記憶にのこった。というのも、とつおいつながらさまざまな絵画 作品をわたしがまえにするとき、けっして「無垢」ではないにしても、点滅するネオンサイン や街頭の状景の意味のなさに似て、ぼんやり意識されるもの、されないもののあわいがなにかの地のようにひろがるのを感じずにはいないことがままあるからです。これも、画面にもたら された有象無象がそうさせるとして、しかし、それとの出あいがいっぽうで意識されないもの のいわば露頭としてわたしのまなざしをひきとめもする。そしてこれら有象無象こそが、まぎ れもなくこの不透明な膜のようなもののひろがるこちら、いやその上あるいは内がわでのでき ごとであり、また、それに眼をそそぐわたしに出来する知覚・認識のざわめきのすべてである にちがいないのです。
  この不透明な膜のようなものは、こうしてわたくしたちの眼のまえにありますが、そのまわりではひたひたと空気がわたしたちの身をつつみ、さまざまな事物のならぶ世界がひらけている。ふつう、身のまわりの世界をみてこれをなんとかこちらにとりこもうとするとき、眼球の機能をなぞらえるあの「カメラ・オブスクーラ」にたいするこだわりのように、ひとは世界とのあいだに相応の視の媒介機能をかりに設けようとの欲求にかられずにはいない。気づいた有 象無象なら、なにかでとりこむこと、あるいはこのあたりに当の膜のようなもののいわれがひ そんでいるのかもしれません。
  それなら、この膜のようなものをなにかもちだしてすえ、あえてこれとかかわろうとすると き、これと、ひとびとが身をおくこの世界とのあいだでいったいなにごとが出来するものだろ うか。このような事態を、かつてアルベルティは、まなざしと風景とのあいだにある「ヴェー ル」でたとえ、ひいてはそこを方形に縁どり窓にみたてることで、単眼による像として網膜に むすばれる遠近法を構想しましたが、この糸張り膜はそこで不透明な紙や布に移されなぞられ ます。そのように方策を構じ手あてしそこに世界は像として再現されるものとする。透明だろ うと不透明だろうと介在する膜のようなものはここで、世界とまなざしとをへだてむすぶ機構 としてはっきり認識される。とはいえ、ふつうは球体面の両眼球をとおして世界とかかわるわ たしたちにとって、平らな「ヴェール」を眼のまえにすえおくことで事態はいささか奇妙にな らざるをえません。つとに、まなざしの主体を、経験の錯綜によって混成されるその構造から して、またほんらいの神経機能からして、対象となる事物とは「必然的な関係をもたない刺激」 で左右されるものであるとみたてたのはヨハネス・ミュラーでした。そこにもってきて「ヴェ ール」の仮設はおろか、板だの布だのを世界とひとびとのまなざしとのあいだにすえるなどす るとき、視覚ほんらいの仮構性は、いったいいかなる複雑怪奇な事態をそこにまねきよせるこ とになるのか。
  そうでなくても身をひたすこの世になげかけられるまなざしは、純粋な視覚などではなく、 げんにさまざまな言説などにすでにひたされそのぶん社会的に構成されてもいるはずです。し かし、もともと、視覚が対象物にとどまらず刺激の条件いかんによってその様相を変えるので あれば、まなざしは日常での決定論からも逸脱してゆく不測の契機をつねに留保しているはず です。だいいち、ラカンが朝あけのホテルの窓ごしに眼をやったネオンサインや街頭も、その ような視覚のふれが一瞬そこにとどめた意識のすきまであったかもしれない。それがはたして いわゆる「無意識」に相当するものであるかどうかはさておいて、かれのまなざしはこのとき、 まぎれもなく異国のホテルの窓から現実の光景にふれていました。
  それでは、かりに、かれがその場で、あるいは記憶をもとにそうした光景を紙や画布にえが く、そうでなくてもカメラで撮るなどしたらどうでしょうか。そうすれば、かれはかれなりの 「カメラ・オブスクーラ」つまり膜をそうした光景にたいし構えたことになります。そしてこ こで膜をつくるのはあきらかになにがしかの物質であり、特定の装置にほかなりません。この とき、まなざしは、かれがホテルの窓のまえにたったときに眼にした実際の眺めとのあいだで、 はたしてミュラーのいったような「必然的な関係」をたもちつづけていただろうか。いったい、 このへだたりはいったいどういうことなのか。
  当然でしょうが、「カメラ・オブスクーラ」ならずとも視覚にかかる経験のなぞりはそれを 可能とする機能の存在をもとめる。そうすることで出来するのは、生きられる世界にじかにむ く視覚との疎隔でありその疎外にほかなりません。よくひきあいにされるプラトンは、現実をみさだめることじたいがもともと「イデア」のなぞりであるのに、みたものをひきうつすこと などそれに輪をかけた二番煎じだとして、そのように実体あてに介在するものをネガティヴに とらえていた。それはいっぽうで、かれのあの洞窟の比喩で示されているように、岩の壁や光 りなど映り機能の介在が、じつは、ひとびとの現実視や現実認識との間あいを設けそれになに がしか構造をあたえるべつの場所、つまり表出営為の存在の余地を世にもたらすゆえんである ことを逆説的に示唆していたのではないだろうか。表出営為じたいにひそむ生とのアンティノ ミー。
  問題はかかって、身をおく世界にむけられたさまざまなまなざしと、あからさまな膜の介入 にともなう視覚とのへだたりでありその構造というわけです。そしていっぼうでこれは膜のあ りようや、それとのかかわりをたえず間わずにはありえません。膜は自己言及の契機をはらみ ます。

  こうして、無明ともいえる意識の裂けめもまた、外がわから介在させた膜によって視覚にも たらされる変容、それゆえの二様化のあいだでことほどさように多様になる。ひいては、その 具体的な次第をひとびとは当の膜とのかかわりにみることになります。むろん、たまたま窓か らみたネオンサインや街頭が意識の隙間のようなものだとしても、いちど紙など膜にからめと られたネオンサインや街頭はやはり膜との対応でしかないべつの出来事にちがいありません。 むしろ、こういってもよい、このような膜を介入させることが、眼と現実世界とのかかわりに そのつど、それぞれ局面をつくり未知の構造をもたらすのだと。あの洞窟の比喩に通じていま す。そしてこの膜はつねに実際に手であつかえる物や仮設される機能でなければなりません。 こうしたものをアルベルティは文字どおり「ヴェール」といい、何年ほどかまえにロザリンド ・クラウスは「グリッド」などという機構を視座の設定にあてがい自己言及的なモダニズム絵 画の一面性を疎外しました。これら機能の介在による視ることの変容、そのあいだにかならず うまれるさまざまな屈折やゆがみは、いずれも手もとに紙、布、あるいは板を置いてそこに目 のまえの対象をなんとか関係づけることに由来し、ことがらはかかって有形無形の機能の介在 と、いっぽう机上の紙などと、まさに両義的な事態としてあります。いや、このような両義的 な事態がじつは膜であるといってもよい。こうした構えはデューラーの版画でもとうにみてと れることで、そこでは、しっかりできた文字どおりの格子板を目のまえにたて、そのむこうに 「横たわる裸婦をえがく男」のいる机の上に、線で格子どられた紙のようなものがすでに置かれています。
  さきにもふれたように多義的であいまいな膜は、手にふれることのできる物質の上に視覚を ことごとに関係づける、ある意味で理不尽な営為の設定そのものであって、ここで視覚と関係づけられた物質、これをあらためて媒体と名ざすことができます。 とはいえ、それをいうだけで膜の多義性を汲むことははたして可能だろうか。媒体の特定が そのまま、有形無形それぞれの「グリッド」とうらはらのことであるからには、そこでは当然、 社会的に構成され、ときには政治的にさえ方向づけられもするさまざまな要素や条件が視覚に からんでいる。くわえて理念がらみ個人的な志向や感受性とうとうが浸透し、むろん媒体の物 性上のちがいがさけがたく基底になければなりません。そんなことやなにかで、せんじつめる なら、そこにはこうしてひとそれぞれの手法、知覚、そして認識にかかる象面がさまざまに層 をかさね錯綜している。おそらく、当事者たちの「戦略」などというのもここでいう認識にふ くまれていいし、状況がらみの話題だって加味されるでしょう。事態としては作りてにとっても、これをみるがわにとってもおなじですが、同一の作品をみても事態の様相は双方おなじに はならないはずです。このように媒体との重層的で多義にわたるであろうかかわり、そのこち らであらため世界をみる、あるいはみかえす、そうしたことのあいだに構ずる実践の総体をこ こで?統合?と名づけるなら、これはいっぽう、それぞれにとって時と場合でうつろいゆくもの として現象するあの膜のしつらいそのものであるにちがいありません。そしてこれは、なりた ちからしてみずからを否定的にうち崩す契機をもそれじたいにふくみもちます。
  ラカンが眼にした光景にまつわる意識のことを、わたしは絵画作品をまえにするわたしのまなざしにかさねましたが、これがいまふれた統合を経ている以上、じかに身のまわりの現実を まえにする場合とはやはり異質のものでした。そして、作品をまえにみた、あの意識されるも の意識されないものの裂けめなどという識閾がすでにこの統合のしるしではなかったか、とも おもいます。いっぽうで統合は、れっきとした媒体にかかわるかぎりその物性に規制されるも のの、いまふれたようなことでなんらかの実体というものではありえない。それは、統合の出 来と様相であり、そうであるという意味でそれじたい形式であるほかない。統合が実際にはそ の?実践の?形式たるゆえんです。そのかわりひとぴとのまなざしはこの実践形式と交錯しこれ をたしかめはしても、そこからでることはまずない。いきいきと現実世界にむかうまなざしは、 いちどそれが相応の媒体とかかわる統合にもちきたらされるなら、かかって統合とその実践形 式であることの埒にこそ、ひとつひとつきたるべきものの源がひそむことに気づくのではない だろうか。そればかりか、ニコラス・ルーマンがるる説いたようにシステムとしてこの膜も自 己構造化の作動はまぬがれません。
  かがやくネオンサインや街の樹木も、そしてホテルの窓辺にたつ者も朝の空気にひたされています。そこにいることが街頭にそそがれるまなざしそのものであるような充溢。一メルロ =ポンティなら、こうした身内の生起と外界の現象とわかちがたいまなざしのありようをも、 「眼がそれに住みついているところの存在の〈〉」(以下は木田元訳「眼と精神」による)などといったかもしれません。そして、空気にひたされてこの「世界の織目のなかに取り込まれている」わたしたちに、そのとっておきの「」と綾どりの機微を眼にみえるようにする表出実 践が絵画であるというのが、絵画に思いいれの深いこのひとの認識のおおよそでした。こうし た考えのもとにはむろんかれの身体論があり、これとえがくこととのあいだにあっては、画面 の内と外との、視覚を介する「不思議な交換体系」こそが絵画の問題の「すべて」である、と かれはいいます。これは大切なことで、たしかに、まなざしの変換・変容にかかる精妙な機制 にわたしたちはここでもゆきあたる。
  かれはいろいろいっているのですが、そのふくみのあるいいかたの底は、かれの身体論としてさまざまに敷衍される視覚とややもすれば無媒介にかさなってしまうきらいがどうしても残ります。せっかくふれた「交換体系」ということもそうしたあいまいなくもりからぬけません。 世界に身をひたすわたしたちの視覚のまえに紙だの布だの、あの膜のようなもののたしかな介 在があり、そこに視覚がおよんでせきとめられ、どどまらないかぎり、そしてこの膜の次第が それとして同定されないかぎり、セザンヌの作品などをとおし「〈視覚〉の想像体」に敏感であっても、ことがらはひっきょう、ひろやかな「身体的存在論」の綾にいつのまにか回収され てゆく。そのまえに、れっきとした媒体をそこに置いてのできごとであることを、ある種のつ まづきにしなければ、ことの本質は、身体やそのまわりの世界にじかにかかわる視覚の、屈折した代替か比喩としてそれらと美しく連続し、むしろそれらとのほんらいのかかわりの変容と してついに解消されてゆく。美術の言説はげんに、世のさまざまな現実認識をつたえることの 韜晦や代わりにすぎないことがままあります。

  視覚のとどまり、それにみちびく堰が、世界をまえにする媒体のすえ置きであるとして、むろんこれはべつの視覚とその機制の発覚を意味し、世界はそうした機制の外がわにまわります。 身体は相応の手法をとおして世界のこちらがわにも参入するでしょう。セザンヌがりんごをみ ながら「絵のなかで考え」たのもそうしてであるにちがいありません。このような機制をわた しは統合とそのゆらぎなどといいましたが、メルロ=ポンティのあげた「交換体系」もまた、 画布、えのぐ、筆だのをあえて眼とかかわらせるかぎり、煎じつめれば事態はそうした機制の みきわめになるほかないようにおもいます。それだけに、身をつつむ世界をまえに視覚を媒体 とかかわらせるのは、かれのいうように「存在の網目に巻きこまれ」るばかりではなく、むしろ画面とかかわる統合の網目にとらわれることだといいたいくらいです。
  いずれにしても、しかじかの媒体にとらわれるときひとは、身をひたす世界のなかから視覚 をそれぞれのグリッド/媒体の膜にひきとめ、そこにひきおこされる視覚の変容とたわむれるよ うみちびかれます。そこになにか「みえないもの」や「背後」がたとえ感知されてもそれは媒体のむこう、うしろではなくあくまでそのおもて、こちらにおいてではないだろうか。未知の なにかが到来するのもそこをおいてほかにない。意識されるものも意識されないものも、あげ て媒体とのかかわり、統合のゆらぎに発覚することなのですから。もっといえば、統合の実践 形式をそのようにしてみる一はじめからおわりまでことがらは相応の手法をとおす媒体とのか かわりであり、こちらでそれをみてのとおりのこと、つまりはヴァーチュアルであるといわな ければなりません。またそれこそ、媒体の恵みが無辺であるゆえんではないだろうか。

 クラウスはピカソのあけすけな官能作品を事例に、欲情を律する「パルス」だの「ビート」 だのを彼女のいう「グリッド」にからませてみましたが、ピカソのこうした外部の参照は媒体 形式のありようをしかるべく分節してはいても、まなざしが画面でのこのできごとからもとの 外部つまり肉体にぬけかえることなどありえません。そこではそうした参照ゆえにひきおこされる媒体形式の分節の綾と首尾のほうがかろうじてみるにあたいするものとなるのでしょう。 仕合も生活も身辺の外部は、統合の実践形式のほうをこうして照らしだします。

 そうでなくても統合のゆらぎは、その移り、ずれなどにも、それが無意識に相当するかどうかはべつとして意識の裂けめをとどめずにはいません。そこでの知覚のたゆたいになんらかの 眼の抑圧がとかれるのであれば、これだって媒体をとおした視覚とのかかわりにはじまったことです。このかかわりはしかし、媒体の恵みであって呪縛でもある。それでも、統合はほんら い、これを内がわからつき崩す契機もはらんでいますから、この膜をときには軽がるとすりぬ け、ひろやかな世界にむかうすべもわたしたちにはきっと要るでしょう。媒体をすてて街にで よう、というわけです。
  ところで、1970年前後わが国で物体表出の一部は、物質の無明をそれぞれの事態にもってゆ きながら実直に絵画への筋道をつけてゆきました。これは物質の媒体化が物質の無明とともに あることのたしかめでもあった。物質のたまさかな媒体化は、名づけようもないたんなる視像 としてまずあらわれますが、眼がとらえるこの無明は、いまだこれそれと認識されざるものと してそこにひらけています。無縁のようにみえますが、それはたとえば中ザワヒデキの「方法 主義」だの、村上隆の「スーパーフラット」だのといったあきらかに還元的でクールな実践形 式にもひそんでいる。ところが、画布だのえのぐだの物質の媒体化じたいが、こうした、あき らかに眼にみえるのに帰属不明の視像ぶくみでもあるのは、そのさきで、ある種みえないもの の識閾が視覚にむすぱれ画面に到来する余地、リオタールのいう意識のカオス、「マトリック ス」のようなものをそこにひきとどめるゆえんともなるはずです。むろん、これとて、媒体と のかかわりというひとつの呪縛において、そこにポジティヴなまなざしをそそぐことに由来す る可能性ではなかっただろうか。

  絵画にあって「世界はまだまだ描かれなけれぱならず、世界が完成されてしまうなどというこ とはいつまでだってない」とメルロ=ポンティはいいました。それもまた、ともあれ統合の恵 みに身をあずけてのことであるにちがいありません。

ギャラリー檜 地図(Gallery Hinoki MAP)

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